2021年5月25日火曜日

祖母の話

私の祖父母は父方の祖母を除いて、早くに亡くなっているので、「おじいちゃん・おばあちゃん」との交流というのはこの父方祖母だけになります。 祖母は当時日本が植民地としていた台湾に、台湾鉄道の車掌の娘として生まれ、終戦まで台北、高雄で少女時代を過ごしました。 日本が太平洋戦争に突入してからは、台湾歩兵連隊に動員され、当時の上司は、後藤田正晴中尉(のちの田中角栄内閣での官房副長官)と聞いています。 日本が敗戦すると本土に引き揚げることになりますが、当然敗戦国側である日本人の引き揚げは容易なものではなく、略奪なども行われていました。 その時に、台湾人の豆腐屋の親父さんが、引き揚げまでの手引きをしてくれるなどして助けてくれたそうです。その親父さんは、実は蒋介石軍の諜報部員だったそうですが、懇意に付き合いがあった祖母一家を助けてくれました。 その後、本土の土を生まれて初めて踏んだ祖母は、同じく満州からの引き揚げ組である祖父と知り合い結婚しました。 この話を聞いたのは中学生の頃で、当時は映画のような話だなあと思ったのですが、当然ながら祖母の少女時代は壮絶そのものでした。 そんな祖母も享年92歳で亡くなりました。 私にとっては、とても優しい祖母で遊びに行ったら、なかなか握った手を離してくれませんでした。 生前、台湾にもう一度行きたいと言っていた祖母の夢が叶わなかったことは残念ですが、コロナが明けたら祖母の軌跡をたどりに台湾に行きたいと思います。

2020年11月3日火曜日

国際人権法連続講座「だいじょうぶなの?入管!」

昨日11月2日は、大阪弁護士会主催の「市民、弁護士のための国際人権法連続講座/日本における外国人と国際人権法/だいじょうぶなの?入管!〜違反だらけの入管収容〜」を受講しました。もちろん、オンライン受講です。 とてもためになりました。私自身、入管との直接のやりとりはビザの取次申請くらいにはなりますが、過去に刑事裁判において、難民であることを争ったこともあり(難民であることが認められた場合、オーバーステイ等を理由とする刑は免除されます)、非常に関心の強かった講座でした。 現在の入管行政、そして裁判所は国際自由権規約を無視した運用・認定になっています。 いくつかある原因として、40年以上前の入管に幅広い裁量を認めたマクリーン判決や入管職員の意識(日本にふさわしい外国人のみを日本に残す)によるところが大きいそうです。私もそう感じました。 思うのは、現在の入管行政、そしてその後の裁判所の判断って、本当にちゃんとした根拠に基づいて行われてないということです。 裁判所は、かなり広い裁量論で、右から左に流しているのに変わらない。でも本当は国際人権規約が条約として批准しているわけですから、出入国管理および難民認定法の解釈にあたっては、上位法の国際自由権規約を踏まえた審理をしなければならないが、ほとんど無視した状態になっているのです。 「最高裁が変わらないと入管は変わらない」 国連への個別通報制度をきちんと活かして、最高裁判所の考えを変えさせる。 大変勉強になりました。

2020年9月1日火曜日

通訳人問題

 今日から9月になりました。

今年も残り4ヶ月ですがコロナ禍で人々の行動が制限された日々が未だに続いております。

このコロナの影響で、日本での在留資格を有する外国人が再入国する場合の入国拒否が問題となっていましたが、先月28日に、出国日にかからわず再入国が原則として認められるようになりました。

わが国の在留外国人の数は過去最高を記録しており、今後は一層、在留外国人をユーザーとしたサービスを幅広く構築していかなければならないと思います。

司法もその例外ではありません。外国人が司法制度、とりわけ訴訟を提起しようと考えたとき、通訳人の存在が非常に重要となります。

すなわち、日本語が堪能な外国人であれば、弁護士と十分にコミュニケーションをとることができますが、そうでない場合、通訳人による通訳がなければ、法律相談からつまづいてしまうからです。

司法における通訳人問題は、以前から問題視されていました。

第一に、「司法通訳人」といった国家資格が存在しないという点です。

現在、裁判所では、裁判で通訳人が必要となった場合には、法廷通訳人名簿に基づいて選任していますが、その能力が必ずしも国家資格によって担保されていません。

もちろん、研修制度はありますし、優秀な通訳人の先生もおられますが、諸外国に比較するとやはり国家資格化していない日本は遅れていると思います。


第二に、通訳人費用をどうするかという点です。

一つの例を考えてみたいと思います。

飲食店で働くネパール人男性Aさんが熊本にいるとします。

Aさんは、日本に来て2年ほどで、日本語もあまり得意ではなく、ネパール語しか話せません。そんな彼が、残業代を支払ってくれない飲食店に対し、残業代請求を行うため原則3回の期日で終了する労働審判を提起しようと考えてます。

このとき、Aさんには通訳人が必要となりますが、そのためには裁判所に法廷通訳を依頼するか、自力で通訳人を探すしかありません。

しかし、ネパール語の通訳人は熊本にはほとんどいないため、裁判所に法廷通訳を頼むことにしました。すると、裁判所の名簿では、ネパール語の通訳人は関西にしかいないことがわかりました。

このような場合、通訳人の通訳料だけではなく、旅費もAさんが負担することになります。

そうなると、Aさんは、労働審判という司法サービスを受けることができないという結果が生じるのです。

この問題は、一見すると通訳料を誰が負わなければならないものかという問題のようですが、本質は、通訳人のアクセスのしにくさにあるように思います。

通訳料は、司法サービスによる利益を享受しようとするAさんが負わなければなりませんが、通訳人の旅費まで負担しなければならないのかは別議論だと思うからです。

「日本に来る以上は、日本語を話せるようになってからでないと来てはならない」という主張は、ある意味では正しく聞こえますが、社会はそのようにできていません。

日本語ができない在留外国人は想像以上に大勢いるのです。

日本語が話せる者も話せない者も自らの権利の救済や実現のため司法サービスを等しく利用できなければ、日本の国際化は遅れるばかりでしょう。


(追記)

出入国在留管理庁への申請取次も行っておりますので、ビザ申請のご依頼をお考えの方はご連絡ください。

2020年4月24日金曜日

マスクとカレー

コロナ禍の中、最前線で闘われている医療従事者の方々には頭が下がります。
司法界はというと、緊急事態宣言を受けて、熊本の期日も緊急性の高い事件を除き、全て中止となり、次回期日は未定のままです。

さて、感染予防には3密を避けるというのはもちろんですが、マスク着用、手洗いうがいが基本です。
私はマスクを着用すると太りすぎのせいかすぐに息切れをおこしてしまうのとメガネが曇ってしまうため、マスクはどちらかというと苦手でした。
しかし現在ではそんなことも言ってられず、私よりも周囲の方に迷惑がかかることからマスク着用を心がけています。

とはいえ、マスクが手に入りづらくなっていたりネットで購入するにしても高いわけですから、マスクの入手には一苦労です。

そんな中、街中で飲食店さんがマスクを販売してました。
値段は4000円ほどでしたが、インターネット通販などしたことがない両親のためにマスクを買っていこうと思い、店内に入るとスパイシーな香りがします。
店員さんが
「マスクを購入された方にはカレーを無料でお付けします」との一声にお昼をすでに済ませた私は断ろうか悩みましたが、ありがたくいただくことにしました。

「いま世の中に最も需要のある一つにお店のアピールポイントを付加価値としてつける」
ということだろうかと思いながらカレーを美味しくいただきました。

2019年12月20日金曜日

相続の3ヶ月ルール?!

昨日のNHKのビジネス特集「知らないと大変なことに!相続の3ヶ月ルールって?」の放送をご覧になられた方もいらっしゃるかと思います。
https://www3.nhk.or.jp/news/html/20191218/k10012219631000.html

いま全国で問題になっている空き家問題(朽ちた空き家が通行者や近所の迷惑になっているが、所有者不明のため行政も対処できない)とも関連していますが、長い間連絡を取っていなかった親族の財産を突然相続することになったら・・・というのがこの放送のテーマでした(私も全部は見ていないためおそらくそういうことなのだろうと思います)。
相続するって得しかないと思われがちですが、もちろん借金などのマイナスの財産も相続の対象となる「財産」となりますし、それこそ廃墟と化した空き家を相続するとなったら、多くの解体費用を負担するの?!となってしまいます。

そこで登場するのが

相続放棄

という手続です。
これは「相続の開始があった」ことを知ってから3ヶ月以内に家庭裁判所で「相続放棄」の手続をすれば、相続しなくて大丈夫!という制度です。
相続の開始があった」というのは、一番わかりやすいのが亡くなったことを知ってからという場合。
この3ヶ月という期間は思いの外短く、事前に延長の手続も取ることができますが、気付いた時には3ヶ月経過していた・・・ということもままあります。
これがいわゆる「3ヶ月ルール」です。

同番組では、法律相談で、離婚した父の住んでいた空き家を相続したという女性が弁護士から、この3ヶ月を経過したために放棄できなかったという事例が紹介されていました。

具体的な事情等がおありと思いますが、亡くなったことを知ってから3ヶ月を経過しても、「相続する財産って何もないわよね・・・」と信じた場合には、マイナスの財産があるということを知ってから3ヶ月以内に相続放棄をすれば、認められる場合があります。

半年前に音信不通の親族が亡くなったことを知ったけど、特に相続するものもなかったので放置していたが、突然、消費者金融から延滞していた借金を請求された場合を想定してみましょう。
この場合、音信不通の親族の様子など知るよしもありませんから、相続する財産などないと思っても不思議はありません。
そうすると、消費者金融から請求が来た時に初めて
「あ、この故人(ひと)借金作ってたのね・・」
となるため、その請求が来たときから3ヶ月以内であれば相続放棄ができる可能性があります(最高裁第二小法廷昭和59年4月27日判決)。


もう今年も終わりです。月日の経つのは早いものですが、亡くなったことを知ってから3ヶ月経っても、
諦めよう・・・
と思わず一度ご相談に来られてはいかがでしょうか。

2019年11月25日月曜日

事務所の看板がリニューアルしました

前回から4ヶ月も空いておりましたが、今回はお知らせです。
事務所の看板がリニューアルしました。
暖色系のオレンジと白を基調としたデザインで、フォントも優しい雰囲気になりました。
駐車場にも大きめの看板を立てましたので、お車でお越しの方も一目瞭然!!
となってほしいです。
みなさまにお気軽にお越しいただけるような事務所づくりを目指しますので今後ともよろしくお願いいたします。

△駐車場看板 



△入口看板 夜でも見やすいLED仕様

2019年7月29日月曜日

クライマーズ・ハイ

私の好きな映画の一つにクライマーズハイという映画(2007年)があります。
横山秀夫原作で、横山氏が新聞記者時代に遭遇した日航機123便墜落事故が題材となっています。
(あらすじ)
1985年8月12日、乗員乗客524名を乗せた日航機123便が、群馬と長野の県境に墜落、その一報が北関東新聞社に入る。編集部で全権デスクに任命された悠木和雅(堤真一)は記者として扱う一大ニュースに対する興奮を禁じえないが、中央紙とのスクープ合戦や組織や家族との衝突を経て、命の重さに対しわき上がる使命感を覚える(引用元:シネマトゥデイhttps://www.cinematoday.jp/index.html

映画の終盤、事故の原因が「圧力隔壁の破壊」というスクープをどの新聞社よりも早く手に入れた悠木は、「Ace in the Hole」という、カーク・ダグラス演じる小さな新聞社の初老の編集長の言葉「チェック、ダブルチェック」という言葉を呟きながら、このスクープの裏を取れたのかどうか、記事にすべきかどうかを悩みます。

ここからは個人的な感想ですが、この「チェック、ダブルチェック」という言葉と「クライマーズ・ハイ」という映画のタイトルがとてもうまくリンクしていると感じます。
クライマーズ・ハイという言葉は、ランナーズ・ハイと同様、登山者が、登山中にその疲労感を忘れるほど気分が高揚してくる状態のことを言うらしいのですが(不正確でごめんなさい)、この状態の登山者はスイスイと登って行ってしまうのと同時に、滑落の危険性が高くなります。
「スクープ記事をすっぱ抜ける!」という高揚感のあまり、記者として鉄則の「裏取り」をせず、誤報を飛ばすことだけはしない。。。「クライマーズ・ハイ」という映画は、熱気溢れながらも事故により疲労困憊した記者デスクの中で繰り広げられるプロ同士の人間模様をよく描いており、邦画の中でも私の一番好きな映画です。

弁護士としても、困難事案に遭遇した時、状況を打破できる一筋の光が見えるときがありますが、その時には「ダブルチェック」。飛びつかずにもう一度、理屈を再構成することが大事ですね。

2019年7月20日土曜日

労働法研究会

今日も雨です。
本日は、定期開催される労働法研究会のため熊本大学に来ております。
当事務所の髙島弁護士がプレゼンターとして労働災害の職務起因性をテーマに発表を行っております。
こういった会に参加することは、理論的な知識を補う、他の弁護士がどのような労働問題に取り組んでいるのかを知ることができる、という自身の鍛錬にも大変役に立つものです。
そして何よりも研究者の先生方が、実務家にはない視点からのフィードバック、アドバイスをいただける貴重な場でもあります。



2019年6月3日月曜日

R1

更新が大変遅れていましたが、やはりまだ平成が抜けきれてません。
メモを取る時に、よく日付を書くのですが、元号をよく省略して書きます。
例えば、平成であれば H30.6.3というように。
令和になると、アルファベットではRなので、令和元年はR1となります。
私はどうしてもこのR1というのがしっくりこないのですが、今さら西暦に変更して2019.6.3とするのも気持ちが悪いです。

とはいえ、R12とかR8と1以外の数字を書いてみると特に違和感を覚えません。
しっくりこないのは1の方だろうと思いましたので、元にしてみるとどうでしょうか。

R元.6.3

脳トレ的な暗号が出来上がったような気がします。
でも平成元年の時はどうだったのだろうと想像すると、

H1.6.3

となり縦棒が並びすぎて、気持ち悪いと思い、元にしてみると、

H元.6.3

となりますね。
もはやどっちでもよくなってきました。

2019年2月1日金曜日

春よ来い

年末からの咳が止まらずに、インターネットで咳ぜんそくという名前を見て震えております。
寒くなると私は咳が出やすいのですが、一番ひどかったのは、司法試験を受験する年の冬でした。咳き込みすぎによる嗚咽で、いつも涙目でした。
暖かくなると自然と咳はおさまってくるので、早く春がきてほしいと願っています。

そういえば小学校の先生が、年度末の修了式を迎えるにあたり、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と、4月までの時間の経過の早さを例えていました。
しかし、もう小学生ではないので、特に4月からも忙しく感じます。


2019年1月22日火曜日

平成最後の・・・

謹んで初春のお慶びを申し上げます。
平成も残すところあと5ヶ月くらい?でしょうか。
平成最後の・・・と言われることも多いですが、ことあるごとに「平成最後の・・・」という言葉が乱立するであろう平成最後の1日は、やかましいでしょうね。
裁判で提出する書面に記載する日付は、元号をよく使いますが、去年から平成最後の・・・という言葉を聞きすぎて、「平成31年」と書くたびに、何故か哀愁というか、切なさを感じるのです。
おそらくみなさんも同じように思っていて、年が明けても「平成30年」と書き間違える書面に出くわします。
しかし、よくよく考えてみれば、平成という元号によって時代が区切られるだけなので、元号が切り替わってもなんにも変わっていないじゃないのかと。
それでも「平成」という言葉に特別の感情を抱くのは、戦争と復興の「昭和」から「平成」へという時代の移り変わり、バブルが弾けてどこか元気のない雰囲気だった社会の中にもテクノロジーやサブカルチャーの目まぐるしい発展があって、私は、その空気感がとても好きだからだと思うのです。
でも、どちらかといえば、私は「平成」というより「90年代」が好きでした。



2018年12月17日月曜日

師走

今年もあと半月となりました。12月は師走(しわす・しはす)と言われ、何かと諸事お忙しいことと思います。
この師走という言葉は、何気無く使っておりますが、今ふと「師」とはどのような意味なのか疑問に思い調べてみました。
師走とは、「師が走る」という意味で、「師」とは僧侶、お坊さんを指すようです(諸説あり)。
僧侶が仏事に走り回るということで師走ということらしいですね。
12月を指す言葉として他には「春待月」「三冬月(冬3番目の月)」という言い方もあるようです。
12月は1年最後の月なので今年1年思い馳せることも多いかと思います。
私はこの時期になるとやたらとお腹を冷やしてしまってお腹が痛い時が多いです。

2018年10月21日日曜日

自由法曹団総会in八幡

 本日は、自由法曹団の総会出席のため北九州に向かっております。

2018年10月10日水曜日

法廷での立ち振る舞い

弁論や弁論準備、公判で裁判官からふと想定外の質問をされた時の答え方についてです。
綺麗で理論的な書面を起案することも重要ですが、裁判官にとっさに気の利いた一言を言えるかが大事だと最近実感するようになりました。
これは先輩弁護士から常々言われていることではありましたが、最近特に実感するのです。
想定外の質問をされ、頭が真っ白になったとしても動じない、これは弁護士として当たり前なようで意外と難しい。
しかし、持ち帰って検討する場合であったとしても、その後の手続きを想定しながら咄嗟に気の利いた一言を言えるかどうかは、弁護士の技量として大事なことだと改めて思いました。


2018年8月6日月曜日

エリンブロコビッチを観て

そういえば、先日「エリンブロコビッチ」(2000年、米)という映画を久しぶりに観ました。
ジュリアロバーツ主演の映画で、シングルマザーで学歴もないエリンが、PG &E社という大企業を相手取り、1993年に3億3300万ドルの和解金を勝ち取るまでの軌跡を描いた大作です。
子供の頃にWOWOWで放送されていたのを観て、「弁護士という職業もいいな」と思った映画でした(この映画では、弁護士はエリンを支えるボスとして登場します)。

あらずじとしては、PG &E社が6価クロムという有害金属を井戸水に流し汚染したことにより、周囲の近隣住民がガンを発症するなど健康被害が多発し、当初、PG &E社が絡んでるとは夢にも思わなかった周辺住民がエリンの呼びかけによって立ち上がっていくというストーリーです。
水俣病裁判の始まりと共通するところもありますが、このPG &E社に対する裁判はアメリカで初めて巨額の賠償金を支払った公害裁判で、大変勉強になります。

この映画では、エリンがこの事件に熱を入れるがあまり、弁護士から公私混同していると指摘されるシーンがありますが、エリンは次のように言い返します。

「これは私の仕事で、汗を流して大事な子ども達との時間も犠牲にしたのよ。個人的な仕事でないと言うのなら一体なんなのよ。」

普段の仕事で公私混同は避けるべきですが、エリンの言い分もなるほどなと思いました。


2018年3月14日水曜日

谷間世代の不公平是正措置について

 とある先輩弁護士のツイッター上での発言が個人的には喜ばしいものであったため、ブログで述べさせていただきます。
 ツイートによれば、某府の弁護士会では、貸与制世代と言われている弁護士たちに、返済が始まる月から10年間の弁護士会費を減額することが決まったそうです。
 
 この貸与制といいますのは、弁護士になるために司法試験に合格した後、司法修習生という身分として研修を受ける期間があります。
 この司法修習というのが、最高裁判所が採用し、公務員としての身分を有するが、給料はもらえない、しかし公務員だから兼業禁止というなかなかサディスティックな制度なのです。
 司法修習生は司法試験の合格者が出るたびに採用しており(69期、70期というようにカウントしていきます)、現在は71期目の修習生がこの司法修習にて法曹実務家となるべく日々研鑽しているところです(ちなみに71期からは給料ではないが、返還の必要のない給付金の支給が一昨年決まりました。)
 
 余談ですが、弁護士というのは、この司法修習の期の意識が強く、例えば
「あの先生若いと思ってたけど自分より期が上だったのね。。。」
 や
「同期会しよーぜ!!」
 ということがあります。

 さて、話を戻すと、65期から70期までの修習生を経た法曹は、国の制度改革によって給料がもらえず、兼業もできないが故に、国から借金をして修習を経験しています。
 当然、1期から64期までは給料が支給され、71期からは給付金が支給されるのに、65期から70期は借金を背負わされるのだ。。。という不公平が出てきます。
 いわゆるこの65期から70期までを「谷間世代」というのです。

 そもそも論として司法修習生に給与を払わないことは憲法上も政治的にも問題のあることであるとは思いますが、今回は省略しまして、まずは、冒頭に述べた、某弁護士会の英断に拍手を送りたいと思います。
 私が修習生の時、こんなことを言う同期がいました。
 
「政治で決まったんだから貸与制は仕方ないでしょ」


Σ(・□・;)


 弁護士というのは民間人でありながら、国の三権分立の一翼である司法権を支える重要な職業であると思っています。
 弁護士を目指す修習生(裁判官でも検察官でもですが)が、立法や行政が決めたことを仕方ないと言って諦めてしまっていいのか・・・と思いました。
 
 とにかく71期の給付金支給が決定してから、谷間世代の孤立は加速する一方であった結果、少しでも負担を減らすような措置をとったことは大変喜ばしく思います。
 もっとも、その一方で、弁護士会に負担を転嫁させることは避けるべきだと思います。
 

2018年2月24日土曜日

留学の記憶(2)

前回のつづきでございます。

順調な留学生活を送っていた私でしたが、ある日現地のパトカーに乗るという事件が起きました。
それは私が通学用の自転車を修理していた時です。
せめて自宅前でやればよかったのですが、なぜか私はキャンパス内の駐輪場で自転車を修理していました。
そこを一人の女性が通りかかったこと、その女性が私のことをチラチラと見てきたのは覚えています。
その後、サイレンと共にパトカーが接近してきたのです(私のいた街は治安が大変よろしくないため、大学内に警察署がありました)。

「チャリンコ窃盗と間違われとる。」

これは人生最大のピンチ(当時は本気で思っていました)と思った私は必死に弁解を開始するのです。
しかし、いくら自分の自転車を修理していただけだと伝えてもわかってもらえず、証拠はあるのかと言われても防犯登録もしていませんでした。
ふと思いついたのが、以前撮った自転車のデジカメ写真を見せることでした。
ミーハーな私は帰国して友達に「これがアメリカのチャリンコだぜ!」と見せるために、わざわざ自分の自転車の写真を撮ったことがありました。

事情を説明すると、警官もわかってくれたようで(そもそも今思えばレシートを見せればよかったと思います)、自宅までパトカーで一緒に行くことにしたのです。
パトカーに乗せてもらう前に、よく映画で見るようなボディチェックをされたとき(フリスクというらしいです)は、冷静にも、

「これ、この前の授業で習ったやつやん。」

とぼんやりと考えていました。


自宅に連れて行くと、その警官は突然「大麻の匂いがする」と言い出すではありませんか。
確かに何か匂う。



今朝作った味噌汁でした。

大麻と味噌汁の匂いが似ているはずもなく、日本人としてのなんらかの誇りを傷つけられた気がして、私の拳は怒りに満ち溢れ、プルプルと震えていました(でも今思えばそんなことはなかったような)。

無事写真を警官に見せて、私の疑いは晴れましたが、弁護士になってみて、貴重な経験をしたなあとしみじみ感じております。




2018年2月13日火曜日

留学の記憶(1)

弁護士の石黒でございます。

HPでも触れさせては頂いていますが、私には大学時代に1年間という短い期間ではありますが、アメリカの法学部に留学したという経験がございます。
正確にいうとアメリカには法学部というものはなく、法学準備コース(pre-Law)というカリキュラムを学ぶクラスにいたということになります。

授業内容は、日本の法学部と同じ、いや、それ以上の内容だったと思います。
留学生の私にとっては非常に刺激的な経験でした。
というのも、講義を担当するのは全て法曹資格を持っている先生ばかりで、毎回の課題は約40ページにもわたる判例の原文を読んで、次回の講義の教授からの質問に備えるというもの。
さらに授業中の発言がそのまま成績評価に繋がるので、決して気の抜けない日々でした。

また、カリフォルニア州地裁の裁判官の担当する刑法の講義では、実際に法廷傍聴をすると成績の加点事由になるため、車を持っている友人に頼み込んで、大学から遠く離れた裁判所にまで法廷傍聴に行ったものでした。
裁判が終わると、教授の裁判官室に通されて、当時カリフォルニア州知事だった(かな?)シュワちゃん(アーノルド・シュワルツネッガー)のサインを自慢げに見せてもらったのも覚えています。

とにかく予習・復習に追われる毎日で、大学の図書館で何度徹夜したことか(それくらい当時は毎日が新鮮で、バイタリティあふれていました。)。
もっとも、私のいた大学では考えられないことですが、私の他にも多くの徹夜組が毎日のようにいました。
「ああ、アメリカの大学生は遊んでばかりじゃないんだな」
と失礼ながらも思ったものです。

そんな毎日を過ごしていた私ですが、ある日こんなことがありました。
ビジネス法の講義の後に、教授に質問に行った時でした。
教授は、私に強い口調でこう言ったのです。

「なぜ授業中に質問しないんだ?」

私にとっては、
「こんな日本人留学生が訛りの入った英語で授業中に質問するなんぞ、周りの迷惑になるじゃないか」
と卑屈にも考えていたので、正直そんなこと言われても・・・と思いました。
しかし、教授はこう話を続けました。
「君の質問は素晴らしいのだから、授業中質問して他の学生と一緒に考えるべきだ」

少なくとも私のいた大学では授業中に学生が質問するなどあり得ないことでしたので、教授が私の質問を評価してくれたことに喜びを感じつつ、「これがアメリカ留学か」と衝撃を受けました。
それからは、私も脳みそをフル稼働しながら、積極的に発言するようになったのです。




2018年2月8日木曜日

弁護士のイシグロと申します

 このブログをご覧になっておられる稀有な皆様方。
 弁護士の石黒大貴(イシグロヒロキ)と申します。

 「このブログのコンセプトがよくわからない・・・・」

というのが私の本音であり、ご覧になっている方のお気持ちでしょう。
 このブログでは、私の弁護士としての関心事や精力的に取り組む分野について情報発信できればと思っています。
 そんな中で、少しでもこの男に興味を持っていただければ幸いでございます。
 それでは皆様、次の更新までごきげんよう。
 
 

祖母の話

私の祖父母は父方の祖母を除いて、早くに亡くなっているので、「おじいちゃん・おばあちゃん」との交流というのはこの父方祖母だけになります。 祖母は当時日本が植民地としていた台湾に、台湾鉄道の車掌の娘として生まれ、終戦まで台北、高雄で少女時代を過ごしました。 日本が太平洋戦争に突入し...