2021年5月25日火曜日
祖母の話
私の祖父母は父方の祖母を除いて、早くに亡くなっているので、「おじいちゃん・おばあちゃん」との交流というのはこの父方祖母だけになります。
祖母は当時日本が植民地としていた台湾に、台湾鉄道の車掌の娘として生まれ、終戦まで台北、高雄で少女時代を過ごしました。
日本が太平洋戦争に突入してからは、台湾歩兵連隊に動員され、当時の上司は、後藤田正晴中尉(のちの田中角栄内閣での官房副長官)と聞いています。
日本が敗戦すると本土に引き揚げることになりますが、当然敗戦国側である日本人の引き揚げは容易なものではなく、略奪なども行われていました。
その時に、台湾人の豆腐屋の親父さんが、引き揚げまでの手引きをしてくれるなどして助けてくれたそうです。その親父さんは、実は蒋介石軍の諜報部員だったそうですが、懇意に付き合いがあった祖母一家を助けてくれました。
その後、本土の土を生まれて初めて踏んだ祖母は、同じく満州からの引き揚げ組である祖父と知り合い結婚しました。
この話を聞いたのは中学生の頃で、当時は映画のような話だなあと思ったのですが、当然ながら祖母の少女時代は壮絶そのものでした。
そんな祖母も享年92歳で亡くなりました。
私にとっては、とても優しい祖母で遊びに行ったら、なかなか握った手を離してくれませんでした。
生前、台湾にもう一度行きたいと言っていた祖母の夢が叶わなかったことは残念ですが、コロナが明けたら祖母の軌跡をたどりに台湾に行きたいと思います。
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