2018年2月24日土曜日

留学の記憶(2)

前回のつづきでございます。

順調な留学生活を送っていた私でしたが、ある日現地のパトカーに乗るという事件が起きました。
それは私が通学用の自転車を修理していた時です。
せめて自宅前でやればよかったのですが、なぜか私はキャンパス内の駐輪場で自転車を修理していました。
そこを一人の女性が通りかかったこと、その女性が私のことをチラチラと見てきたのは覚えています。
その後、サイレンと共にパトカーが接近してきたのです(私のいた街は治安が大変よろしくないため、大学内に警察署がありました)。

「チャリンコ窃盗と間違われとる。」

これは人生最大のピンチ(当時は本気で思っていました)と思った私は必死に弁解を開始するのです。
しかし、いくら自分の自転車を修理していただけだと伝えてもわかってもらえず、証拠はあるのかと言われても防犯登録もしていませんでした。
ふと思いついたのが、以前撮った自転車のデジカメ写真を見せることでした。
ミーハーな私は帰国して友達に「これがアメリカのチャリンコだぜ!」と見せるために、わざわざ自分の自転車の写真を撮ったことがありました。

事情を説明すると、警官もわかってくれたようで(そもそも今思えばレシートを見せればよかったと思います)、自宅までパトカーで一緒に行くことにしたのです。
パトカーに乗せてもらう前に、よく映画で見るようなボディチェックをされたとき(フリスクというらしいです)は、冷静にも、

「これ、この前の授業で習ったやつやん。」

とぼんやりと考えていました。


自宅に連れて行くと、その警官は突然「大麻の匂いがする」と言い出すではありませんか。
確かに何か匂う。



今朝作った味噌汁でした。

大麻と味噌汁の匂いが似ているはずもなく、日本人としてのなんらかの誇りを傷つけられた気がして、私の拳は怒りに満ち溢れ、プルプルと震えていました(でも今思えばそんなことはなかったような)。

無事写真を警官に見せて、私の疑いは晴れましたが、弁護士になってみて、貴重な経験をしたなあとしみじみ感じております。




2018年2月13日火曜日

留学の記憶(1)

弁護士の石黒でございます。

HPでも触れさせては頂いていますが、私には大学時代に1年間という短い期間ではありますが、アメリカの法学部に留学したという経験がございます。
正確にいうとアメリカには法学部というものはなく、法学準備コース(pre-Law)というカリキュラムを学ぶクラスにいたということになります。

授業内容は、日本の法学部と同じ、いや、それ以上の内容だったと思います。
留学生の私にとっては非常に刺激的な経験でした。
というのも、講義を担当するのは全て法曹資格を持っている先生ばかりで、毎回の課題は約40ページにもわたる判例の原文を読んで、次回の講義の教授からの質問に備えるというもの。
さらに授業中の発言がそのまま成績評価に繋がるので、決して気の抜けない日々でした。

また、カリフォルニア州地裁の裁判官の担当する刑法の講義では、実際に法廷傍聴をすると成績の加点事由になるため、車を持っている友人に頼み込んで、大学から遠く離れた裁判所にまで法廷傍聴に行ったものでした。
裁判が終わると、教授の裁判官室に通されて、当時カリフォルニア州知事だった(かな?)シュワちゃん(アーノルド・シュワルツネッガー)のサインを自慢げに見せてもらったのも覚えています。

とにかく予習・復習に追われる毎日で、大学の図書館で何度徹夜したことか(それくらい当時は毎日が新鮮で、バイタリティあふれていました。)。
もっとも、私のいた大学では考えられないことですが、私の他にも多くの徹夜組が毎日のようにいました。
「ああ、アメリカの大学生は遊んでばかりじゃないんだな」
と失礼ながらも思ったものです。

そんな毎日を過ごしていた私ですが、ある日こんなことがありました。
ビジネス法の講義の後に、教授に質問に行った時でした。
教授は、私に強い口調でこう言ったのです。

「なぜ授業中に質問しないんだ?」

私にとっては、
「こんな日本人留学生が訛りの入った英語で授業中に質問するなんぞ、周りの迷惑になるじゃないか」
と卑屈にも考えていたので、正直そんなこと言われても・・・と思いました。
しかし、教授はこう話を続けました。
「君の質問は素晴らしいのだから、授業中質問して他の学生と一緒に考えるべきだ」

少なくとも私のいた大学では授業中に学生が質問するなどあり得ないことでしたので、教授が私の質問を評価してくれたことに喜びを感じつつ、「これがアメリカ留学か」と衝撃を受けました。
それからは、私も脳みそをフル稼働しながら、積極的に発言するようになったのです。




2018年2月8日木曜日

弁護士のイシグロと申します

 このブログをご覧になっておられる稀有な皆様方。
 弁護士の石黒大貴(イシグロヒロキ)と申します。

 「このブログのコンセプトがよくわからない・・・・」

というのが私の本音であり、ご覧になっている方のお気持ちでしょう。
 このブログでは、私の弁護士としての関心事や精力的に取り組む分野について情報発信できればと思っています。
 そんな中で、少しでもこの男に興味を持っていただければ幸いでございます。
 それでは皆様、次の更新までごきげんよう。
 
 

祖母の話

私の祖父母は父方の祖母を除いて、早くに亡くなっているので、「おじいちゃん・おばあちゃん」との交流というのはこの父方祖母だけになります。 祖母は当時日本が植民地としていた台湾に、台湾鉄道の車掌の娘として生まれ、終戦まで台北、高雄で少女時代を過ごしました。 日本が太平洋戦争に突入し...