2018年2月24日土曜日

留学の記憶(2)

前回のつづきでございます。

順調な留学生活を送っていた私でしたが、ある日現地のパトカーに乗るという事件が起きました。
それは私が通学用の自転車を修理していた時です。
せめて自宅前でやればよかったのですが、なぜか私はキャンパス内の駐輪場で自転車を修理していました。
そこを一人の女性が通りかかったこと、その女性が私のことをチラチラと見てきたのは覚えています。
その後、サイレンと共にパトカーが接近してきたのです(私のいた街は治安が大変よろしくないため、大学内に警察署がありました)。

「チャリンコ窃盗と間違われとる。」

これは人生最大のピンチ(当時は本気で思っていました)と思った私は必死に弁解を開始するのです。
しかし、いくら自分の自転車を修理していただけだと伝えてもわかってもらえず、証拠はあるのかと言われても防犯登録もしていませんでした。
ふと思いついたのが、以前撮った自転車のデジカメ写真を見せることでした。
ミーハーな私は帰国して友達に「これがアメリカのチャリンコだぜ!」と見せるために、わざわざ自分の自転車の写真を撮ったことがありました。

事情を説明すると、警官もわかってくれたようで(そもそも今思えばレシートを見せればよかったと思います)、自宅までパトカーで一緒に行くことにしたのです。
パトカーに乗せてもらう前に、よく映画で見るようなボディチェックをされたとき(フリスクというらしいです)は、冷静にも、

「これ、この前の授業で習ったやつやん。」

とぼんやりと考えていました。


自宅に連れて行くと、その警官は突然「大麻の匂いがする」と言い出すではありませんか。
確かに何か匂う。



今朝作った味噌汁でした。

大麻と味噌汁の匂いが似ているはずもなく、日本人としてのなんらかの誇りを傷つけられた気がして、私の拳は怒りに満ち溢れ、プルプルと震えていました(でも今思えばそんなことはなかったような)。

無事写真を警官に見せて、私の疑いは晴れましたが、弁護士になってみて、貴重な経験をしたなあとしみじみ感じております。




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