2019年2月1日金曜日

春よ来い

年末からの咳が止まらずに、インターネットで咳ぜんそくという名前を見て震えております。
寒くなると私は咳が出やすいのですが、一番ひどかったのは、司法試験を受験する年の冬でした。咳き込みすぎによる嗚咽で、いつも涙目でした。
暖かくなると自然と咳はおさまってくるので、早く春がきてほしいと願っています。

そういえば小学校の先生が、年度末の修了式を迎えるにあたり、「1月は行く、2月は逃げる、3月は去る」と、4月までの時間の経過の早さを例えていました。
しかし、もう小学生ではないので、特に4月からも忙しく感じます。


2019年1月22日火曜日

平成最後の・・・

謹んで初春のお慶びを申し上げます。
平成も残すところあと5ヶ月くらい?でしょうか。
平成最後の・・・と言われることも多いですが、ことあるごとに「平成最後の・・・」という言葉が乱立するであろう平成最後の1日は、やかましいでしょうね。
裁判で提出する書面に記載する日付は、元号をよく使いますが、去年から平成最後の・・・という言葉を聞きすぎて、「平成31年」と書くたびに、何故か哀愁というか、切なさを感じるのです。
おそらくみなさんも同じように思っていて、年が明けても「平成30年」と書き間違える書面に出くわします。
しかし、よくよく考えてみれば、平成という元号によって時代が区切られるだけなので、元号が切り替わってもなんにも変わっていないじゃないのかと。
それでも「平成」という言葉に特別の感情を抱くのは、戦争と復興の「昭和」から「平成」へという時代の移り変わり、バブルが弾けてどこか元気のない雰囲気だった社会の中にもテクノロジーやサブカルチャーの目まぐるしい発展があって、私は、その空気感がとても好きだからだと思うのです。
でも、どちらかといえば、私は「平成」というより「90年代」が好きでした。



2018年12月17日月曜日

師走

今年もあと半月となりました。12月は師走(しわす・しはす)と言われ、何かと諸事お忙しいことと思います。
この師走という言葉は、何気無く使っておりますが、今ふと「師」とはどのような意味なのか疑問に思い調べてみました。
師走とは、「師が走る」という意味で、「師」とは僧侶、お坊さんを指すようです(諸説あり)。
僧侶が仏事に走り回るということで師走ということらしいですね。
12月を指す言葉として他には「春待月」「三冬月(冬3番目の月)」という言い方もあるようです。
12月は1年最後の月なので今年1年思い馳せることも多いかと思います。
私はこの時期になるとやたらとお腹を冷やしてしまってお腹が痛い時が多いです。

2018年10月21日日曜日

自由法曹団総会in八幡

 本日は、自由法曹団の総会出席のため北九州に向かっております。

2018年10月10日水曜日

法廷での立ち振る舞い

弁論や弁論準備、公判で裁判官からふと想定外の質問をされた時の答え方についてです。
綺麗で理論的な書面を起案することも重要ですが、裁判官にとっさに気の利いた一言を言えるかが大事だと最近実感するようになりました。
これは先輩弁護士から常々言われていることではありましたが、最近特に実感するのです。
想定外の質問をされ、頭が真っ白になったとしても動じない、これは弁護士として当たり前なようで意外と難しい。
しかし、持ち帰って検討する場合であったとしても、その後の手続きを想定しながら咄嗟に気の利いた一言を言えるかどうかは、弁護士の技量として大事なことだと改めて思いました。


2018年8月6日月曜日

エリンブロコビッチを観て

そういえば、先日「エリンブロコビッチ」(2000年、米)という映画を久しぶりに観ました。
ジュリアロバーツ主演の映画で、シングルマザーで学歴もないエリンが、PG &E社という大企業を相手取り、1993年に3億3300万ドルの和解金を勝ち取るまでの軌跡を描いた大作です。
子供の頃にWOWOWで放送されていたのを観て、「弁護士という職業もいいな」と思った映画でした(この映画では、弁護士はエリンを支えるボスとして登場します)。

あらずじとしては、PG &E社が6価クロムという有害金属を井戸水に流し汚染したことにより、周囲の近隣住民がガンを発症するなど健康被害が多発し、当初、PG &E社が絡んでるとは夢にも思わなかった周辺住民がエリンの呼びかけによって立ち上がっていくというストーリーです。
水俣病裁判の始まりと共通するところもありますが、このPG &E社に対する裁判はアメリカで初めて巨額の賠償金を支払った公害裁判で、大変勉強になります。

この映画では、エリンがこの事件に熱を入れるがあまり、弁護士から公私混同していると指摘されるシーンがありますが、エリンは次のように言い返します。

「これは私の仕事で、汗を流して大事な子ども達との時間も犠牲にしたのよ。個人的な仕事でないと言うのなら一体なんなのよ。」

普段の仕事で公私混同は避けるべきですが、エリンの言い分もなるほどなと思いました。


2018年3月14日水曜日

谷間世代の不公平是正措置について

 とある先輩弁護士のツイッター上での発言が個人的には喜ばしいものであったため、ブログで述べさせていただきます。
 ツイートによれば、某府の弁護士会では、貸与制世代と言われている弁護士たちに、返済が始まる月から10年間の弁護士会費を減額することが決まったそうです。
 
 この貸与制といいますのは、弁護士になるために司法試験に合格した後、司法修習生という身分として研修を受ける期間があります。
 この司法修習というのが、最高裁判所が採用し、公務員としての身分を有するが、給料はもらえない、しかし公務員だから兼業禁止というなかなかサディスティックな制度なのです。
 司法修習生は司法試験の合格者が出るたびに採用しており(69期、70期というようにカウントしていきます)、現在は71期目の修習生がこの司法修習にて法曹実務家となるべく日々研鑽しているところです(ちなみに71期からは給料ではないが、返還の必要のない給付金の支給が一昨年決まりました。)
 
 余談ですが、弁護士というのは、この司法修習の期の意識が強く、例えば
「あの先生若いと思ってたけど自分より期が上だったのね。。。」
 や
「同期会しよーぜ!!」
 ということがあります。

 さて、話を戻すと、65期から70期までの修習生を経た法曹は、国の制度改革によって給料がもらえず、兼業もできないが故に、国から借金をして修習を経験しています。
 当然、1期から64期までは給料が支給され、71期からは給付金が支給されるのに、65期から70期は借金を背負わされるのだ。。。という不公平が出てきます。
 いわゆるこの65期から70期までを「谷間世代」というのです。

 そもそも論として司法修習生に給与を払わないことは憲法上も政治的にも問題のあることであるとは思いますが、今回は省略しまして、まずは、冒頭に述べた、某弁護士会の英断に拍手を送りたいと思います。
 私が修習生の時、こんなことを言う同期がいました。
 
「政治で決まったんだから貸与制は仕方ないでしょ」


Σ(・□・;)


 弁護士というのは民間人でありながら、国の三権分立の一翼である司法権を支える重要な職業であると思っています。
 弁護士を目指す修習生(裁判官でも検察官でもですが)が、立法や行政が決めたことを仕方ないと言って諦めてしまっていいのか・・・と思いました。
 
 とにかく71期の給付金支給が決定してから、谷間世代の孤立は加速する一方であった結果、少しでも負担を減らすような措置をとったことは大変喜ばしく思います。
 もっとも、その一方で、弁護士会に負担を転嫁させることは避けるべきだと思います。
 

2018年2月24日土曜日

留学の記憶(2)

前回のつづきでございます。

順調な留学生活を送っていた私でしたが、ある日現地のパトカーに乗るという事件が起きました。
それは私が通学用の自転車を修理していた時です。
せめて自宅前でやればよかったのですが、なぜか私はキャンパス内の駐輪場で自転車を修理していました。
そこを一人の女性が通りかかったこと、その女性が私のことをチラチラと見てきたのは覚えています。
その後、サイレンと共にパトカーが接近してきたのです(私のいた街は治安が大変よろしくないため、大学内に警察署がありました)。

「チャリンコ窃盗と間違われとる。」

これは人生最大のピンチ(当時は本気で思っていました)と思った私は必死に弁解を開始するのです。
しかし、いくら自分の自転車を修理していただけだと伝えてもわかってもらえず、証拠はあるのかと言われても防犯登録もしていませんでした。
ふと思いついたのが、以前撮った自転車のデジカメ写真を見せることでした。
ミーハーな私は帰国して友達に「これがアメリカのチャリンコだぜ!」と見せるために、わざわざ自分の自転車の写真を撮ったことがありました。

事情を説明すると、警官もわかってくれたようで(そもそも今思えばレシートを見せればよかったと思います)、自宅までパトカーで一緒に行くことにしたのです。
パトカーに乗せてもらう前に、よく映画で見るようなボディチェックをされたとき(フリスクというらしいです)は、冷静にも、

「これ、この前の授業で習ったやつやん。」

とぼんやりと考えていました。


自宅に連れて行くと、その警官は突然「大麻の匂いがする」と言い出すではありませんか。
確かに何か匂う。



今朝作った味噌汁でした。

大麻と味噌汁の匂いが似ているはずもなく、日本人としてのなんらかの誇りを傷つけられた気がして、私の拳は怒りに満ち溢れ、プルプルと震えていました(でも今思えばそんなことはなかったような)。

無事写真を警官に見せて、私の疑いは晴れましたが、弁護士になってみて、貴重な経験をしたなあとしみじみ感じております。




2018年2月13日火曜日

留学の記憶(1)

弁護士の石黒でございます。

HPでも触れさせては頂いていますが、私には大学時代に1年間という短い期間ではありますが、アメリカの法学部に留学したという経験がございます。
正確にいうとアメリカには法学部というものはなく、法学準備コース(pre-Law)というカリキュラムを学ぶクラスにいたということになります。

授業内容は、日本の法学部と同じ、いや、それ以上の内容だったと思います。
留学生の私にとっては非常に刺激的な経験でした。
というのも、講義を担当するのは全て法曹資格を持っている先生ばかりで、毎回の課題は約40ページにもわたる判例の原文を読んで、次回の講義の教授からの質問に備えるというもの。
さらに授業中の発言がそのまま成績評価に繋がるので、決して気の抜けない日々でした。

また、カリフォルニア州地裁の裁判官の担当する刑法の講義では、実際に法廷傍聴をすると成績の加点事由になるため、車を持っている友人に頼み込んで、大学から遠く離れた裁判所にまで法廷傍聴に行ったものでした。
裁判が終わると、教授の裁判官室に通されて、当時カリフォルニア州知事だった(かな?)シュワちゃん(アーノルド・シュワルツネッガー)のサインを自慢げに見せてもらったのも覚えています。

とにかく予習・復習に追われる毎日で、大学の図書館で何度徹夜したことか(それくらい当時は毎日が新鮮で、バイタリティあふれていました。)。
もっとも、私のいた大学では考えられないことですが、私の他にも多くの徹夜組が毎日のようにいました。
「ああ、アメリカの大学生は遊んでばかりじゃないんだな」
と失礼ながらも思ったものです。

そんな毎日を過ごしていた私ですが、ある日こんなことがありました。
ビジネス法の講義の後に、教授に質問に行った時でした。
教授は、私に強い口調でこう言ったのです。

「なぜ授業中に質問しないんだ?」

私にとっては、
「こんな日本人留学生が訛りの入った英語で授業中に質問するなんぞ、周りの迷惑になるじゃないか」
と卑屈にも考えていたので、正直そんなこと言われても・・・と思いました。
しかし、教授はこう話を続けました。
「君の質問は素晴らしいのだから、授業中質問して他の学生と一緒に考えるべきだ」

少なくとも私のいた大学では授業中に学生が質問するなどあり得ないことでしたので、教授が私の質問を評価してくれたことに喜びを感じつつ、「これがアメリカ留学か」と衝撃を受けました。
それからは、私も脳みそをフル稼働しながら、積極的に発言するようになったのです。




2018年2月8日木曜日

弁護士のイシグロと申します

 このブログをご覧になっておられる稀有な皆様方。
 弁護士の石黒大貴(イシグロヒロキ)と申します。

 「このブログのコンセプトがよくわからない・・・・」

というのが私の本音であり、ご覧になっている方のお気持ちでしょう。
 このブログでは、私の弁護士としての関心事や精力的に取り組む分野について情報発信できればと思っています。
 そんな中で、少しでもこの男に興味を持っていただければ幸いでございます。
 それでは皆様、次の更新までごきげんよう。
 
 

祖母の話

私の祖父母は父方の祖母を除いて、早くに亡くなっているので、「おじいちゃん・おばあちゃん」との交流というのはこの父方祖母だけになります。 祖母は当時日本が植民地としていた台湾に、台湾鉄道の車掌の娘として生まれ、終戦まで台北、高雄で少女時代を過ごしました。 日本が太平洋戦争に突入し...